米国の経営の世界で、「文化」という用語が急速に普及していった1980年代、日本の経営の世界も「文化」の時代を迎えていた。ただし、それは正確には、メセナ(企業の文化社会事業支援)とかフィランソロピー(企業の社会貢献活動)とかの意味で「文化」の時代だった。そんな中で注目されるのは、同じ頃、こうした国内外の「文化」の流れとは独自に、日本企業でも「組織活性化」の旗の下で、米国企業同様の組織文化的な動きが見られたということである。1970年代半ば以降、日本企業の間では「組織活性化」という用語がしばしば用いられるようになる。しかも、この組織活性化はもともと外来語ではなく、英語の原語も存在しない。日本語に翻訳されている経営書などで「活性化」という訳語を当てられているのは、mobilization、utilization、revitalization、energization などで、いずれも人的資源等の有効利活用や産業再活性化などの意味で用いられるもので、組織の活性化とはニュアンスが異なる(河合, 高橋, 1992)。日本で使われている「活性化」は、欧米から導入されたというよりは、むしろ1970年代半ば頃から国内で独自に使われ始めたもので、主に組織開発の分野で日本にある考え方や技法などをすべて包括している概念なのである。1990年代になって、高橋(Takahashi, 1992)や河合(Kawai, 1992)によって「組織活性化」の英訳として、“organizational activation” という用語が当てられ、欧米の学術誌に掲載されるようになった。逆に活性化の英訳 “activation” を欧米に輸出しようというわけである(河合, 高橋, 1992)。
さて、それでは1970年代半ば頃に、一体何があったのだろうか。1973年10月に第4次中東戦争が勃発すると、アラブ石油輸出国機構(OAPEC)の石油戦略によって、翌年までに原油価格は4倍にも跳ね上がり、一時は原油輸出制限まで発表された。オイル・ショックである。これは折からの日本国内のインフレーションに拍車をかけ、1974年2月にはいわゆる狂乱物価がピークに達する。1973年初めから続けられていた金融引締めは一層強化され、1973年11月〜1975年4月は公定歩合は9%の未曾有の高水準を続けた。1974年春から夏にかけて日本は深刻な不況に突入する(中村, 1993)。こうして、日本経済全体が高度成長から低成長・安定成長へと移り、各企業も業績の伸び悩みや低迷を経験する中で、なんとかして高度成長期のときのような活気のある良い組織状態を取り戻したい、維持したいということから組織活性化が叫ばれるようになってきたと考えられる。ディール=ケネディが企業文化で強い文化の必要性を唱えたときと同様に、景気の浮沈を乗り越えて、活性化された状態を維持することが叫ばれた。それは環境の状態にかかわらず良い状態であり、たとえば、ひどい不況時には企業が高業績を挙げることはほとんど望めないが、このような時にも、たとえ高業績に結び付かなくても、活性化された状態を実現することは可能なはずである。
そこでここでは、高橋(高橋, 1989; Takahashi, 1992)による組織活性化のフレームワークをもとにして、活性化の意味について考えてみよう。このフレームワークでは、活性化された状態(activated state)を「組織のメンバーが @組織と共有している目的・価値を A能動的に実現していこうとする状態」と定義する。そして、@の組織と目的・価値を共有している程度を表すものとして一体化度を、Aに関連して、逆に受動的に思考している程度を表すものとして無関心度を考える。この一体化度と無関心度は、それぞれ次のような意味を持っている。
この無関心度を横軸、一体化度を縦軸にとったグラフをI I図(I-I chart; Identification-Indifference chart)と呼び、これにメンバーおよび組織をプロットすることで、活性化度の比較を行う手法を開発した。無関心度の高低と一体化度の高低の組み合わせから、図1のような四つのタイプに類型化して考えることができる。
図1. I I図によるメンバーの類型化
(出所) Takahashi (1992) Figure 2を加工したもの。
そこで、高橋(Takahashi, 1992)は、この無関心度と一体化度を測定し、メンバーおよび組織をプロットすることで、活性化度の比較を行う手法を開発した。仮に、無関心度指数と一体化度指数が正しく測定されているとすると、次のような仮説が検証できるはずである。
まず、タイプ4は非貢献者型であり、実際には、このタイプのメンバーの多い組織は組織的行動がとれずに、存続が難しくなる。それ以前の問題として、そのような傾向をもった者をメンバーとして企業が受け入れるとは考えにくい。事実、マーチ=サイモン(March & Simon, 1993, p.25 邦訳p.8) もタイプ4に相当する分類は想定しなかった。したがって
仮説1. 無関心度指数も一体化度指数も共に低いようなタイプ4の者は、実際の企業の組織には少ない。
さらに、タイプ1のメンバーを中心とした組織をタイプ1の組織、同様にタイプ2、タイプ3のメンバーを中心とした組織を、それぞれタイプ2の組織、タイプ3の組織と呼ぶことにしよう。仮説1から、タイプ4の組織は考えないことにする。そこで、この3タイプの組織が持っているはずの組織特性から、実際の組織を「タイプ1・2・3」に分類すると
仮説2. 「タイプ1・2・3」に予想類別された組織の間には、II図上で示されたような位置関係がある。
高橋(Takahashi, 1992)では、実際の調査データを使って仮説1と仮説2を検証していて、無関心度指数と一体化度指数は正しく測定されているということを確認している。既に述べたように、組織の活性化された状態の定義である「組織のメンバーが @組織と共有している目的・価値を A能動的に実現していこうとする状態」に従えば、無関心度指数が低く、一体化度指数の高いタイプ3のメンバーが中心のタイプ3の組織は、活性化された状態にある組織、すなわち、活性化組織である。「組織デザイン」でも詳述されるが、組織活性化の程度を一体化度と無関心度で表現しようという基本的なアイデアは、もともとは数理的な組織デザイン論(Takahashi, 1987)から得られたものである。そこでは、組織モデルを構築した上で、いくつかの組織設計上有用と思われる命題が導出される。しかし、こうした命題はすべての現実の組織に妥当するものではない。数理系の理論の常として、ある仮定もしくは前提条件を満たした場合にのみ妥当する。その前提条件を満たしている程度が一体化度と無関心度によって表現されるわけで、高一体化度・低無関心度のタイプ3のメンバーが多い時、つまり活性化された状態の時、はじめて組織設計論で想定しているような環境適応の組織設計が可能になるのである。
ここで注目したいのは、I I図の4タイプの類型がこれまでにも暗黙のうちに仮定されて学説が立てられてきたということである。マーチ=サイモン(March & Simon, 1993, p.25 邦訳p.8) はそれまでの組織についての命題には、人間の諸属性のうちのどれを考慮に入れるべきか、ということについての一連の仮定が明示的にもしくは暗黙のうちに前提として含まれていると主張した。そして、組織内行動についての諸命題をその仮定によって次の三つに大分類した。
おおざっぱに言えば、1は科学的管理法、2は人間関係論、3は近代組織論によく見られるタイプの命題である。それぞれここでのタイプ1, 2, 3にほぼ対応していることがわかる。既に述べたように、実質的に組織メンバーとはいえないタイプ4は、現実にはほとんど見られず(Takahashi, 1992)、彼らも考えていない。実際、個々の人間レベルでは、3組の仮定のいずれかによく当てはまるケースが多いのではないだろうか。つまり、タイプの異なるメンバーが存在し、そのメンバーに適用可能な理論も異なってくると考えた方が自然だろう。
ところで、マーチ=サイモンは気付いていなかったようだが、この3分類は彼らより以前に1938年に原論文(Merton, 1938)が発表されている社会学者マートン(Robert K. Merton; 1910-2003)による逸脱的行動の社会的文化的原因の分析、特に分析に用いる「個人的適応様式の類型」と基本的に合致していた。この論文はマートンの論文集『社会理論と社会構造』にも収録されている(Merton, 1957a, pp.139-157 邦訳pp.121-148)。マーチ=サイモン(March & Simon, 1993, p.25 邦訳p.8)の3類型が「個人的適応様式の類型」と基本的に合致していることは、I I図によるメンバーの類型化(Takahashi, 1992)と重ね合わせることでよくわかる。マートンによれば、社会的文化的構造の種々の諸要素の中で、さしあたり次の二つのものが重要である。
図2. 文化を担う社会の中での個人的適応様式の類型
(出所) 高橋(1995, p.150, 図4)が、Merton (1949, p.236)から作成したもの。ただし、この整理の仕方だと5番目の類型「反抗」を表示することは難しい。
マートンによれば、革新という適応様式は、成功目標が文化的にきわめて強調されている中で、成功を得るための効果は大きいが制度的には許容されていない手段を用いるところに現れる。偉大な米国の歴史は、制度上ではいかがわしい革新への無理押しで綴られているという。組織活性化もマートンの言う革新も、既成の許容された行動を脱して逸脱的行動をとるものの、文化的目標という文化の既成価値が強調される中、いわば強い文化的目標を前提としてそれが行われるという点で、逃避主義とは異なり、強い文化とは切り離しては考えられない。そして図2からもわかるように、強い企業文化はメンバーに対してけっして「同調」だけを求めているわけではない。真の組織革新とは、企業文化を「革新」して変えてしまうことではなく、その企業がそれまで培ってきた企業文化を強化する中で、既成の許容された制度的手段の枠を超えた行動を起こしていくことなのである。1980年代に多くの日本企業で試みられたコーポレート・アイデンティティー(corporate identity; CI)の運動は、そうした組織革新を目指した運動だった。
近代組織論の創始者と評されるバーナード(Chester Irving Barnard; 1886-1961)は、1927年から1948年までニュージャージー・ベル電話会社初代社長を勤めた専門経営者である。社長在任中の1937年に、ハーバード大学のローウェル研究所(Lowell Institute)でThe functions of the executiveという題名の講義を行なった。この講義の内容をもとに同名の書物が1938年に出版される。それが The functions of the executive (Barnard, 1938)つまり『経営者の役割』(直訳すれば『経営者の諸職能』)である。いまや経営学における古典であり、バーナードはこの書物で近代組織論の創始者という評価を確立した。
バーナードがローウェル研究所講義の準備を始めたときには、経営者は何をするのか、経営者はいかに作用するのかを順序よく記述するだけのつもりだったようで、管理過程論風の経験的に分類された管理職能論の記述を試みたといわれる。その段階では、直訳したタイトル『経営者の諸職能』通りの内容だったことになる。ところがまもなく、組織の構造と動態的特性に関連した言葉によってのみ、それが可能であることに気付く。そして、経営的職能を適切に記述しようとすれば、その記述は組織そのものの本質に即したものでなければならないと考え、組織論を通じて経営管理論を記述するという組織論的管理論が展開されることになる(飯野, 1978, ch.3)。
バーナードの書物は、専門経営者が書いたにも関わらず、高度に抽象的で、自ら考え出した概念を体系立てるという性格をもっていた。より具体的には、まず協働システムを考え、その中核的サブシステムとして公式組織を考えた上で、この公式組織を成立・存続させることが協働システムを維持することであり、そこに経営的職能を見出すという展開をとることになる。いわゆる組織では、具体的な要素やサブシステムが一つのシステムとして機能しているように見える。このとき、こうした具体的な要素やサブシステムを結びつけて一つのシステムとして機能させている「何か」があると考えた方が理解しやすい。バーナードはそれを公式組織と呼んだ。バーナードの偉いところは、その公式組織の成立条件と存続条件までを明らかにしたことにある。そこでバーナードが経営者の役割をどのようにとらえていたのかという観点から、『経営者の役割』の骨格をごく簡単に整理しておくことにしよう。
名前もつけられず、組織とも考えられないような短命のせいぜい2〜3時間の命しかない公式組織は無数にある(Barnard, 1938, p.4 邦訳p.4)。たとえば、高橋(2010, p.115)は、次のような例を挙げている。
大学近くの駅のホームで、たまたま同じ授業をとっていた二人の学生、A君とB君が、帰りの電車を待つ間に世間話をしていた。電車が来れば、いつものように、A君は上りの電車に乗り、B君は下りの電車に乗るつもりでいた。もし何事もなければ……。ところが、たまたまホームを歩いていた酔っ払いが、二人の見ている目の前でホームから線路に転落してしまった。さあ大変である。幸い電車は来ていないが、この酔っ払いはとても一人ではホームまで這い上がれそうにない。「おい! 助けるぞ!」二人はそう声をかけ合うと、A君がホームから線路に飛び降りて、酔っ払いのお尻を押し、B君がホームの上から酔っ払いの手を引っ張って、なんとか酔っ払いをホームの上に引き上げることに成功した。このときの二人のきびきびとした「組織的活動」に対して、周囲の人からは思わず拍手が起きた……。
このときの二人は「組織」に見えたのである。実際、バーナードの公式組織の成立条件: @コミュニケーション、A貢献意欲、B共通目的に当てはめてみると、@コミュニケーションだけではなく、そこには線路に落ちた人を助けようというB共通目的があり、なおかつ、その共通目的に向かって危険も顧みずに行動しようとするA貢献意欲もあった。この3条件が満たされたとき、われわれはそこに「組織」を見るのである。
ただし、バーナードの公式組織成立3条件は、組織化のプロセスを見ているわけではない。瞬間、瞬間に、スナップショットで見て「あっ! これ『組織』だよね!」と確認するためのものなのである。その意味では、このように名前も付けられず、せいぜい数時間の命しかない短命の公式組織は無数にある(高橋, 2010, p.115)。しかし、公式組織を成立させ、それを長期にわたって存続させることは、大変な努力と才能を要する仕事なのである。自ら現場に飛び込み、同僚や部下との接触を怠らず、彼らを活気づけるようなエネルギーと情熱を注ぎこみ、学習に奔走しながら目標を定めていく。実はこのとき公式組織が成立しているのであり(試しに公式組織成立の三つの必要十分条件をあてはめてみるとよい)、彼らはバーナードのいう経営的職能を果たしているのである。
実はバーナード(Barnard, 1938, p.82 邦訳p.85)の公式組織成立の必要十分条件「組織は、(1)相互に意思を伝達できる人々がおり、(2)それらの人々は行為を貢献しようとする意欲をもって、(3)共通目的の達成をめざすときに成立する。」のうち、(2)と(3)は、組織の活性化された状態の定義と基本的に合致する。『広辞苑』(岩波書店)によると、「活性化」とは「沈滞していた機能が活発に働くようになること。また、そのようにすること。」とある。沈滞していた組織、というより、既に組織として機能しているかどうかも疑わしくなった「組織」をバーナードの公式組織成立の必要十分条件を満たすような状態にすることを「活性化」であると考えると、活性化の議論は理論的にすっきりしたものになる。
そこで高橋(1993, ch.6)は、あらためてバーナードに引き寄せる形で(1)の部分も加えて、組織の活性化された状態の定義として「組織のメンバーが、@相互に意思を伝達し合いながら、A組織と共有している目的・価値を、B能動的に実現していこうとする状態」を提案した。調査のデータを利用して調べてみると、「活性化」のイメージはここでの組織の活性化された状態の定義とほぼ重なっていることも確認されている(河合, 高橋, 1992; 高橋, 1993, ch.6)。組織論研究者が、身の回りの日本企業や組織から持ち込まれる課題、つまり解明すべき組織現象は、その多くが病理的現象であるといっていい。つまりバーナードの組織成立の必要十分条件から逸脱した状態が問題となって持ち込まれていることになる。これが多くの組織の現実なのである。「組織を管理する」という発想は、組織が成立・存続していることを前提にしている。しかし、バーナードの言う公式組織を成立・存続させること自体が、実は非常に難しいことなのである。
マーチ=サイモンの『オーガニゼーションズ』などは、その冒頭で次のように、定義することから逃げてしまっているほどである。「公式組織とは何か、用語の定義をするよりは、例を挙げた方が簡単で、かつ多分有用である。USスチール株式会社は公式組織であり、赤十字も、街角の食料雑貨店も、ニューヨーク州高速道路局も公式組織である」(March & Simon, 1993, p.20 邦訳p.2)。しかし、ここに挙げられた「公式組織」の例が、バーナードのいう公式組織であるかどうかは非常に疑わしい。タイプ3以外のタイプ1、タイプ2の組織も公式組織ではない可能性が高い。ましてや、われわれが日頃目にしているいわゆる「組織」はもはや組織としての機能を失ってしまっているものが少なくない。「組織の風通しを良くする」「ベクトル合わせをする」「モラールの向上をはかる」といった課題はどこの企業でもよく耳にする。逆に言えば、部門間は言うに及ばず、上司・部下・同僚とのコミュニケーションの不足、部門間での共通目的の喪失、そして協動意欲の欠如した従業員をかかえた職場といった現象が、いかに日常的なものかということである。しかし、これらの現象のどれ一つが発生しても、実はバーナードの言う公式組織ではありえない。だからこそ、組織活性化が重要視されるわけである。