経営管理論


ファヨールの経営管理論

 マーチ=サイモンは、科学的管理法と経営管理論を組織論の二つの源流とし、経営管理論の著名な論者として、論文集(Gulick & Urwick, 1937)の編著者であるギューリック、アーウィック、その論文集にも講演録が収録されているファヨール(Fayol, 1917)、そしてホールデン(Haldane, 1918)を挙げていた(March & Simon, 1993, pp.40-41 邦訳p.28)。この中でも、経営管理論の始祖と称されるのはファヨール(Henri Fayol; 1841-1925; フランス人の発音だと「オンリ・ファヨル」に近い)である。

 ファヨールは1888年から1918年まで、30年にわたって当時のフランスの大企業であるコマントリ・フルシャンボー・ドゥカズヴィル鉱山会社、通称、コマンボール社の社長を勤めた専門経営者であった。ファヨールは危機に直面していた同社を立ち直らせ、社長在任中の1916年に『鉱業協会会報』に論文を発表し、翌1917年には書物の形で出版した。これが経営管理論の最初の書物といわれる『産業ならびに一般の管理』(Fayol, 1917)である。専門経営者であるファヨールは社長在任中に、(a)減資、増資、社債発行によって資金を調達し、(b)企業を合併・買収し、(c)不採算部門は事業分割して売却し、(d)研究開発による多角化を行なう、という現代でも行われている財務、合併・買収、事業分割、多角化を駆使して、コマンボール社を文字どおり再生させた。こうした華やかな経営者としての活躍の末に到達した『産業ならびに一般の管理』には、実は、財務、合併・買収、事業分割、多角化については書かれていない。まさに「組織」について書かれた書物だったのである。

 ファヨールは、六つの本質的職能の一つとして管理的職能(予測、組織、命令、調整、統制)を挙げ、さらに、自分がもっともよく用いた管理の一般原則として14の管理原則を挙げている(Fayol, 1917)。実は、2つの原則を除けば、いずれも「……すべきである」ではなく、むしろ「……には気をつけて、その程度をうまく定めなさい」という表現であり、管理の「チェック・ポイント」とでも言った方がイメージ的にぴったりくる。実はそもそもファヨールは、社会体の健康的で良い機能状態はある条件に依存しており、それを一般的にはほとんど区別せずに原則、法則、基準と呼んできたが、管理の問題は程度の問題であり、多様で変わりやすい状況や人間その他の多くの可変的な要素を考慮に入れる必要があるので、原則(principes)という用語を使うのだと述べている(Fayol, 1917, p.19 邦訳p.41)。つまりもともとファヨールの「原則」は、われわれのいう原則ではなく、チェック・ポイントの意味だったのである。

 ファヨールの経営管理論は、やがて米国で急速に普及し、考慮すべきチェック・ポイントのような存在だったprincipes (フランス語)はprinciplesに英訳され、「原則」として、その多様性を増していった。たとえばムーニーは、五つの組織原則: (1)垂直的調整、(2)水平的調整、(3)リーダーシップ、(4)権限委譲、(5)権限を挙げているが(Gulick & Urwick, 1937Mooney, 1937)、マーチ=サイモンは、どこが原則なのか分からない代物で、勧告なのか定義なのかもはっきりしないと批判していた(March & Simon, 1993, pp.49-50 邦訳pp.39-40)。

職能別組織

 ファヨール(Fayol, 1917)は職能を強く意識していたが、実際、今日では、ほとんどの会社は、図1のように、職能別に部門化されている。もっとも、細分化の程度に依存して、ファヨールの考えていた職能とはかなり違って見えることが多いが、このように職能別に部門化された組織は職能別組織と呼ばれる。こうした職能別組織は会社に限らず、大学の学生サークルなどでも、大きなサークルは執行部や事務局が職能別組織になっていることが多い。


図1. 職能別組織の例
(出所) 高橋(2016) p.37。

 このように職能別に部門化するのには、理由がある。人間は限られた範囲の同じ仕事を頻繁に何度も繰り返していると、だんだんと熟練してくるからである。そのためには、特定の職能に専門化していないといけないし、一度熟練しても、ある程度の頻度で使っていないと、すぐにさびついてしまう。これは、管理職でも同じことで、同じ種類の問題に何度も繰り返して遭遇していると、決定が速くなるし、自信も増すわけで、これが、ファヨールの管理原則の最初に挙げられていた分業の原則の所で説明していたことだった。ただし、中堅企業では職能別組織は一般的だが、会社が小さいと職能別に専門化するほどには仕事量がなく、逆に大企業では職能別組織を組立ブロックにして、より複雑な組織が組み立てられることになる(高橋, 2016, p.36)。

仕事分割問題としての部門化: 技能専門化

 マーチ=サイモンによれば、経営管理論の部門化の一般問題は次のように定式化できるという(March & Simon, 1993, p.41 邦訳p.29)。

  1. 組織の一般目的を所与としたとき、その目的達成に必要な単位課業全体は事前に与えられている。
  2. 単位課業を個々の職務にグループ化し、その職務を管理単位にグループ化し、その管理単位をより大きな単位にグループ化し、最終的にはトップ・レベルの部門(=その部門の従業員が割り当てられ遂行する課業の明確な集合)を確立するグループ化を考える。
  3. 問題は、全活動の総実行費用を最小化するようにグループ化することである。

 この部門化(departmentalization)問題を「仕事分割」(division of work)(Simon, Smithburg, & Thompson, 1950, pp.130-149 邦訳pp.111-133)の問題として表現してみよう(ちなみに「分業」は一般にdivision of labor)。いま任意の可能な活動集合 S について、一人の人間による実行所要時間を t(S) で表す。活動集合 S が、ある特定の時間 T (たとえば一日分8時間)以内に一人の人間によって実行可能なとき、すなわち t(S)≦T のとき、それを課業(task)と定義する。活動集合全体を課業に分割することで、活動集合全体の実行所要人員の総数が求まる。ただし分割の仕方は多数あり、その分割の仕方によって課業数が変化する。そこで課業数を最小にし、その結果として人員数、人時(にんじ; man-hour=1人1時間当たりの仕事量を表す単位)数も最小にするような分割を効率的(efficient)分割と定義する(March & Simon, 1993, p.42 邦訳pp.30-31)。

 マーチ=サイモン(March & Simon, 1993, p.42 邦訳p.30)によれば、こうした部門化問題は、いわゆる最適割当問題:

n 人の人、n 個の職務、および i 番目の人が j 番目の職務を行った際の価値を表す実数 aij の集合を所与とするとき、最大の総価値を生み出す人の配置はどうなるだろうか? (von Neumann, 1953, p.5)

とは解法が異なる。割当問題ならば、力任せに、すべての可能な人々の順列を試して、その中で最大の総価値をもたらす順列を求める方法もあり、クーンの考えたハンガリー法(Kuhn, 1955)のように、コンピュータを使って効率的に数値解を求める計算アルゴリズムもある。 ところが、仕事分割問題では、こうは単純にはいかない。一般に、二つの活動集合 S1S2 の和集合 S1S2 の実行所要時間は、活動集合 S1, S2 それぞれ単独の実行所要時間の総和に等しくならない。すなわち非加法性: t(S1S2)≠t(S1)+t(S2) があるからである。この非加法性のせいで、効率的分割探しは複雑になる。では、なぜ非加法性があるのか。実は、たいていの活動は、始めるときにさまざまな「段取り」(setup)を必要とする。

もし共通の段取りを必要とする活動があれば、それを一緒にすることで、同じ段取りを何度も繰り返さずに省くことができる。短期的なものにせよ、長期的なものにせよ、段取り活動は本来求められている活動ではないので、共通の段取り活動をもつ活動を結合することで、図2のように段取り活動を共有させて節約することができるという性質がある。たとえば、距離的に離れた場所で、何人かの人に会わなければならないような場合には、日程調整をして、一日で全員に会えるようにすれば、一往復するだけで済み、時間も交通費も節約できる。このように、共通の段取り活動をもつ活動だけをまとめて実行することができるようになると、段取り活動の節約効果を高めることができる。この種の節約効果は大きなものがたくさんあるので、グループ化の仕方で、課業の実行所要時間に大きな違いが生じるのである(Simon, Smithburg, & Thompson, 1950, pp.137-145 邦訳pp.119-127; March & Simon, 1993, pp.42-43 邦訳p.31; 高橋, 1995, pp.231-232)。


図2. 共通の段取り活動の共有による節約
(出所) 高橋(1995) p.232, 図3。

調整問題への一般化と自己充足性

 マーチ=サイモンは、割当問題でも部門化問題でも、あらかじめ分かっている実行すべき活動集合全体を、いったん組織単位・個人に配分してしまえば、組織問題は解決したことになるので、調整問題を無視していることになると指摘し、次の二つの一般化を導入することを提唱する(March & Simon, 1993, pp.44-45 邦訳pp.33-34)。

  1. 組織の活動自体は、良く定義された高度にルーチン化された種類のものであっても、正確な時と場所で正確に活動を行うことが必要な状況依存的(contingent)プログラムであって、その実行機会は「指示」「情報」などの環境的刺激で決まる。
  2. 普遍的なものを除いて実行すべき活動集合は事前に与えられていないということを認める。事実、組織内で続く重要な活動の一つは、日常業務用にルーチン化を要する新活動のプログラム開発である。

 古典的組織論では、2の新しい活動・プログラムを開発する過程は無視されていたが、1に関連する調整に関しては言及があるので、ここでは、この一般化した枠組みの中で、1を検討しておこう。 組織内行動は、詳細な青写真や計画によって前もって一度に決められるわけではない。たとえ高度にルーチン化されていても、状況依存的である。たとえば、自動車は並はずれてルーチン的な方法で、組立ラインで製造されるが、それでもなお、車体スタイル、色、エンジンの型式のようなものは自動車ごとに状況依存的に決められている。つまり、あれこれ刺激に反応して、具体的活動が実行されるのであり、たとえば工場では、特定製品の詳細な製造仕様が書いてある「標準作業指示票」があるが、これだって、注文を受けたときだけ生産に入るという条件が付いているのである。好きな時に勝手に作ればよい……というわけがない。つまり、一般的には、活動リスト(すなわち、職務明細書、規程、標準製品の青写真、標準作業手続等の全体)は、各活動の実行条件を記した多数の条件文とともに、プログラムとして事前に与えられているのである(March & Simon, 1993, pp.45-46 邦訳pp.34-35)。

 このように仕事分割問題を拡張した場合、課業は1日分の時間を超えないという制約条件は、任意の所与の期間において、@平均負荷: 平均所要時間の期待値は1日分を超えない、または、A最大負荷: 所要時間は長くても1日分を超えない、という条件に書き換えればいい(March & Simon, 1993, p.46 邦訳pp.35-36)。  大変になるのは、調整の問題である。これには伝達の問題も加わり、状況は複雑になる。たとえば、伝達は、専門家集団内では容易だが、それをまたぐと困難になるとか、公式階層のラインに沿えば容易だが、それを横切ると困難になる等々、調整の必要を減らすために過程別専門化を犠牲にすることも考えねばならない(March & Simon, 1993, pp.46-47 邦訳p.36)。

 このことは古典的文献でも「目的別組織」に関連して言及される。たとえば、目的別組織では、仕事の遂行に必要な専門家、代理人、サービスのすべてを、一人の指揮官が直接管理するので、指揮官は、他者を待ったり、援助・協力交渉をしたり、あるいは経営者に対立解決を要請したりする必要がないし(Gulick, 1937, p. 22)、過程別部門同士は、仕事のタイミングを合わせる必要があるが、目的別部門ではさほど重要ではない(Gulick, 1937, p. 24)など。ただし、マーチ=サイモンも採用していた「目的別組織」という呼び方は、不正確で誤解を招くだけなので、本書では今後はしない。[実は、ギューリック (Gulick, 1937)は、(a)目的別、(b)過程別、(c)顧客別、(d)場所別を挙げているが、 (c)顧客別、(d)場所別、あるいは製品別も、(a)目的別の亜種といってよく、境界があいまいである。しかも(b)過程別ですら、特定業務(例えば、人事・労務や研究・開発)に特化した企業が存在している現実を踏まえると、(a)目的別の亜種になりうる。ちなみに、マーチ=サイモンは(a)〜(d)の他にも「(e)時間別」(by time)を挙げているが(March & Simon, 1993, p.50 邦訳p.40)、元々 Gulick (1937) にはなく、意味もよく分からない。] より正確に言えば、組織単位の自己充足(self-containment)度を高める必要がでてくるのである(Simon, Smithburg, & Thompson, 1950, pp.266-267 邦訳pp.264-265)。ここで、組織単位の活動の実行条件が、他の組織単位の状態から独立的である限り、その組織単位は自己充足的であるという(March & Simon, 1993, pp.47-48 邦訳pp.36-37)。そこで本書では、これを「自己充足的部門化」と呼ぶことにしよう。

自己充足的部門化: 事業部制

 製品別であれ、顧客別であれ、場所別であれ、自己充足的に部門化された組織は、事業部制と呼ばれることが多い。各事業部は自己充足性が高く、図3のように、各事業部自体が自己完結した機能別組織になっている。日本企業として最初に事業部制を導入したのは、1933年、松下電器、今のパナソニックだと言われている。メーカーの場合、各事業部は製品別になるのが一般的で、特定の製品群について購買、製造から販売までを担当し、利益を計算できる組織単位、つまりプロフィット・センターになる。


図3. 事業部制組織の例
(出所) 高橋(2016) p.41。

 日本では、小さな職能別組織の会社が大きくなって、複数の製品系列をもつようになり、事業部制組織になるとイメージされている。そしてついには事業部を分社化していって持株会社形態に移行するのだと思っている実務家も多い。ところが、日本よりも先に、1920年代に事業部制が発明された米国では、職能別組織から事業部制組織になった会社もあるものの、たとえばゼネラル・モーターズ(GM)のように、合併買収を繰り返して持株会社形態で大きくなった会社は、単なる会社の寄せ集めから一つのまとまった組織へと変態を遂げるために事業部制に移行した。こうしたことから、経営史家チャンドラー(Chandler, 1962)は、事業部制こそが最終的な組織デザインであり、職能別組織も持株会社形態も、やがては事業部制に収斂していくと結論する。

組織の規模と専門化

 こうして、部門化問題は、技能専門化と自己充足性(逆に言えば、調整必要性)の2変数を軸として展開してきた。その主張の中心は、一変数からみて有利な部門化形態も、他変数からみると損失が大きいことがよくあるということである。すなわち、一般に、専門化による節約可能性の点では、過程別専門化の方が有利であるが、自己充足的部門化の方が、自己充足性がより大きく、調整費用が少なくなる。組織規模が大きくなるにつれ、専門化から生じる過程別組織の限界優位性は小さくなり、同時に、調整費用は大きくなる。したがって、差し引きで効率を考えると、組織規模が大きくなるにつれ、過程別組織から自己充足的組織へと移行するのである(March & Simon, 1993, p.48 邦訳p.38)。 このように、通常のピラミッド構造をもつ組織においては次のような命題を演繹的に導き出すことができる。

  1. 一つの課業に含まれる活動は、単一の自己充足的部門(=その課業を実行する従業員の配属部門)関係の活動のみでなくてはならない。
  2. 1課業の活動の範囲が、人材節約のために、限られた数の技能・過程(たとえば事務技能・過程)のみを必要とするものに限定されなければならないならば、課業は、自己充足的部門別・過程別両方(both)で分割されたものの部分分割(subpartitioning)でなければならない。
このように、技術的にみて同種の大量の仕事を種類ごとに単一事業所にまとめられれば、ギューリックが言うように、有効な分業と専門化が可能になり、同じ機械、同じ手法、同じ動作で仕事を実行することができるようになり、そのことで省力機械と大量生産を最大限に利用した節約も可能になる(Gulick, 1937, p. 23)。ただし、活動を課業にまとめる際に、@Aを制約条件とすると、小さな組織では、活動をフル・タイムの課業にまとめることは難しくなる。つまり、
  1. 小規模組織においては、自己充足的部門化(departmentalization)は、過程別専門化(specialization)を妨げることで、深刻な非効率を招く可能性がある。他方、大規模組織であれば、自己充足的部門化の部分分割として過程別専門化を導入できる可能性があり、うまくいくかもしれない。
つまり、小規模組織では、二つの制約条件@Aを満たす中で最も効率的な課業分割は、多分、すべての可能な課業分割の中では最も効率的というわけではないのである。たとえば、ギューリックが言うように、小規模組織では、各人に個人別秘書をつけると、各秘書にフル・タイムの仕事量のない日ができるので、それよりも中央に秘書だまりを設けた方がよいが(Gulick, 1937, p. 20)、これは二つの制約条件@Aの下では許されない。同様に、自己充足性基準で創設された組織は、効率的部分分割ができるほど十分な仕事がないかもしれないので、そうなると最新技術の装置や専門家を使えなくなる危険がある(Gulick, 1937, p. 22)。

規模の経済性と成長の経済性

 このことをペンローズは、より的確に表現している(Penrose, 1959, p. 71)。例えば、小さな会社では、化学の知識がある人も、化学の専門家としては1日ほんの2〜3時間、工程中の製品検査に化学の知識を使うだけで、残りの時間は、在庫のチェックや請求書の発行などに使われることになる。しかし、会社が大きくなれば、化学の専門家としての仕事が増えて、彼はそれに専念することができるようになる。化学の知識を必要としない在庫のチェックや請求書の発行などは別の人員を採用すればよいのである。彼はけっして遊休していたわけではないが、同じ資源でも異なる状況下では異なって使用されうる。このように、専門化されたサービスをできるだけフルに使用しようとする動機がある。本来、専門化は、企業の産出量が専門化を正当化するほど十分に大規模になった時に初めて起こりうるのである。実際、段取り活動の中で、「大学卒業までの教育」ほど時間とコストのかかっているものはないだろう。受けてきた教育を無駄にしないような仕事をフル・タイムで提供できるのは規模の大きな組織しかない。言い換えると、大企業ほど高学歴者を有効利用できるし、高学歴者が多い企業は大規模なほど経済的なのである。 さらに、資源は離散(discrete)量でのみ入手可能で、それ以上分割して入手できない、いわば最小取引単位がある。この資源の分割不可能性から、倍数の原理(principle of multiple)が問題となってくる。つまり、望ましい最低水準の生産量は各資源の最小取引単位から得られる生産量の最小公倍数に等しくなる。たとえば工程バランスの問題で考えれば、機械の種類が増えれば、バランスを達成しようとする試みのゴールは絶えず遠退いて行くことになる。すべての機械を最も効率的な操業水準で使うためには、非常に大規模な生産を計画することが必要となる (Penrose, 1959, pp. 68-71)。  例えば、いま、ある製品の製造にはA、B、Cの3種類の機械が必要であるとしよう。それぞれの機械1台で製造が可能となる当該製品の生産量が2、3、4であるとき、図4で示されるように、生産量がその最小公倍数12になるまでは、必ず遊休機械が存在することになる。


図4. 倍数の原理
(出所) 高橋(2002) 図表1.

 こうした規模の経済性(economies of size)があるので、組織には規模を拡大する動機がある。そしてさらに、ペンローズは、規模にかかわらず存在する成長の経済性(economies of growth)も存在すると主張する(Penrose, 1959, pp. 99-100)。この場面では、企業や事業の「立ち上げ」に必要となる経営的サービスだと考えてみると成長の経済性が理解しやすい。企業拡大に際して、その計画・実施に吸収され、拡大計画の完遂により解放される「立ち上げ屋」的な経営者のサービスが未使用で存在しているとき、規模に関わらず成長の経済性が存在する。少なくとも、そうした経営的サービスの一例として「立ち上げ屋」集団のサービスをイメージしながら成長の経済性を考えると、格段に理解がしやすくなる(Takahashi, 2015)。


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