官僚制と管理システム


官僚制の理論

 「官僚制」(bureaucracy)の近代的研究は、ウェーバー(Max Weber; 1864-1920)にまで遡る。ウェーバーは、官僚制組織の特徴として、@職務の形で明確に分けられ、A職務遂行に必要な権限は規則によって厳格に制限され、B資格をそなえた者を任命することを挙げた(ウェーバー, 1954, p.3)。ウェーバーは、官僚制組織が、複雑な近代的問題の合理的解にどの程度なるのかを示そうとした。より具体的には、官僚制組織が、個人や他の組織形態の意思決定限界・「計算」限界を専門化、分業等で克服していることを示そうとしたと考えられている(March & Simon, 1993, p.55 邦訳p.48)。

 マートン(Merton, 1940; 邦訳1961b)は、官僚制の特質の一つとして、人間関係の非人格化(depersonalization of relationships)を挙げている。職員は出来るだけ人格的関係(personal relations)をもたないようにし、範疇化をするので、個々のケースの特殊性がしばしば無視される(Merton, 1940, pp.565-566 邦訳p.186)。ここで範疇化(categorization)とは、個々の問題や事例を基準に基づいて分類し、それに従って処理することである(Merton, 1940, p.561 邦訳p.180)。こうした傾向は、官僚制では、職員(official)が選挙ではなく、上司による任命か非人格的(impersonal)競争を通じて任命され(Merton, 1940, p.561 邦訳p.180)、規律ある行為と服務規程遵奉のインセンティブとして、勤続年数による昇進、年金、年功賃金が設計されている(Merton, 1940, p.564 邦訳p.184)ことで可能になり、強化される。

 マートンによれば、官僚制はこうした人間関係の非人格化が特徴で、職員は人格的関係を最小にし、範疇化によって個人的行為を防いでいる。顧客側は個人的で人格的な扱いを望んでいても、職員側は非人格的な扱いをするのが基本で、顧客個人の特質にかまわず、単純な範疇が厳格適用される。その範疇に異議を唱えていいのは組織上位層だけである。それに対して顧客の方は、自分自身の問題は特殊だと確信していて、個人的で人格的な扱いを望んでいるために、官僚制の職員と顧客との間で悶着(conflict)が起こる。しかし、非人格的な扱いをしなければ、えこひいき等々の非難が必ず起こる(Merton, 1940, pp.565-567 邦訳pp.186-188)。マーチ=サイモンも、別の顧客がその顧客のえこひいきの犠牲になっていると知覚し、米国文化の「平等扱い」重視がこの知覚を助長するので、顧客の求めに応じて上位職員が改善行為を指示すること自体が間違いかもしれない(March & Simon, 1993, p.59 邦訳p.53)とまで書いている。

 意外かもしれないが、官僚制は悪い意味で用いられる用語ではないのである。官僚制というと「お役所仕事」「硬直的」のイメージがつきまとうが、言っていることは当たり前のことである。役所でも会社でも、「もっと柔軟に対応しろ!」と担当者を恫喝する人は、要するに「自分だけ特別扱いしろ」と言っているわけで、そんなある種の暴力を封じるために、官僚制は存在しているのである。

 ただし、何事も程度問題であり、あまりに硬直的だと逆機能(dysfunction; 機能不全、機能障害)と批判されてしまうのもまた事実である。マーチ=サイモンも、こうしたマートンの議論が、官僚制組織における逆機能的組織学習を扱ったものだと主張している。すなわち、図1のように、組織メンバーが反応を学習し、それが適切だった状況から他の類似状況に一般化して適用すると、組織の予期しない望まない結果に終わるという話だというのである(March & Simon, 1993, p.56 邦訳pp.49-50)。果たして、そうだったのだろうか。ここに紹介したマートン自身による官僚制の記述は、分かりやすく納得性があるが、マーチ=サイモンによるマートンの紹介は我田引水で意味不明な点や疑問点が多い。たとえば、こうした官僚制の特質から生じる組織メンバーの行動の高度な予測可能性のことをマーチ=サイモンは参加者の行動硬直性(rigidity of behavior)と理由もなく言い換えてしまうが(March & Simon, 1993, p.58 邦訳pp.51-52)、これは論理的誤謬ともいえる明らかな論理の飛躍で、一般的な意味での硬直性ではない。


図1. 官僚制の逆機能モデル
(出所) March and Simon (1993) p.56, Figure 3.1。

 ただし、マーチ=サイモンが、意思決定手法としての範疇化の使用について整理している部分は、特筆に値する。意思決定には、範疇化を使用するものもしないものもあるが、実は、どんな状況でも、範疇化は思考の基礎であり、範疇化では、個々の問題や事例を基準に基づいて分類し、各分類に伴う代替案を実行するので、代替案探索を抑えることができる。しかも、@使用範疇を比較的少数に限定する傾向、A適用可能な範疇を探索してその中から選択するよりも、むしろ形式的に適用可能だった最初の範疇を押し当てる傾向がある。そのため、範疇化を使用する意思決定の割合が増えれば、代替案探索量は減少することになる(March & Simon, 1993, p.58 邦訳p.51)。このことは、マーチ=サイモンのルーチンやプログラムの議論へと直結する。

官僚制の下での革新とプロフェッショナル

 官僚制の逆機能が主張される中で、トンプソンの論文(Thompson, 1965)は、官僚制の下で革新(innovation)や創造性(creativity)を生むための方策らしきものの示唆を与えようとする。現代の官僚制組織における革新の障害となっているものを挙げ、それを変えるものとして、内発的動機づけをはじめとして、当時登場し始めていた様々な新概念が取り上げられる。そして、その方向に向けて、官僚制組織は実際に進化しているとしていた(p.1)。実はこの論文は、単純に「官僚制 対 革新」と対峙させて、官僚制それ自体が本質的に革新を阻害している(のだからやめてしまえ)と主張している論文ではないのである。たとえば、官僚制組織は、上司・部下関係で成り立つ階層構造の頂点にいる人が正統性(legitimacy)の唯一の源泉(pp.3-4)という意味で、独裁的(monocratic)とされるが、独裁的な官僚制組織でも高度に革新的な組織がある(ウェーバーが「カリスマの制度化」と呼んだ現象)とも主張している(p.10)。実際、この論文では挙げられていないが、まだ海のものとも山のものともつかないような新しいアイディアに対して、カリスマ経営者が「よし、商品化しよう」と一言言ってくれれば、官僚制組織は一体となって効率的に動いて、一気に革新が進むことは明らかであり、そのような事例はいくらでも見つけられる。その場合は、むしろ官僚制の方が、新しいアイディアの実行にとっては都合がいい。

 ちなみに、このトンプソンの論文(Thompson, 1965)は、官僚機構におけるプロフェッショナルの管理を特集した1965年の Administrative Science Quarterly (ASQ) 第10巻第1号で問題提起論文となった論文であり、論文中 “professional” という用語が何度も登場する。そのため、この論文をプロフェッショナル論の論文だと位置づける研究者もいるが、プロフェッショナルを単純に官僚制と対峙させているわけではなく、官僚制組織における革新の障害を変えるものの一つとして出てくるので注意がいる。むしろ21世紀に入ってからは、革新(innovation)について「新しいアイディア、過程、製品、サービスの生成(generation)、受容(acceptance)、実行(implementation)」「変化または適応する能力」(p.2)と定義した部分が引用されることが急増しており、(官僚制下の)革新について論じた論文という扱いの方が一般的になりつつある。

 このように、官僚制組織は、代表的かつ頻繁に目にする組織モデルなので、それに対する対立概念的な提案や議論を誘発することになる。その一つがプロフェッショナル論だった。官僚制組織が上意下達の権限構造で管理されるものだとすると、プロフェッショナルとは、そうした権限構造ではなく、上司の専門知識と能力によって統制されるものだと対峙させて、そこに何らかの期待(たとえば革新)を抱く。

 もともとマートン(Merton, 1949)は、コスモポリタンとローカルに分類し、コスモポリタンに該当する一つのタイプとしてプロフェッショナルを挙げていただけだったが、グールドナーの連作(Gouldner, 1957; 1958)は、マートンを引用して、大学のスタッフ(研究者、教員、事務職員) 130人を対象にした調査を行い、コスモポリタンとローカルは程度の差にすぎないとし、さらに6タイプに細分化して分析して、後続のプロフェッショナル研究に大きな影響を与えた。現在では、多くの研究者が、@長期的な教育訓練によって初めて獲得できる高度で体系化された専門知識や専門技能。A職務の自律性。B専門知識を有する集団のメンバーとしての高い職業規範や倫理観、といったプロフェッショナルの定義(Wilensky, 1964)を採用しているといわれる(西脇, 2013)。

 ただし、プロフェッショナルに対する期待過剰は禁物である。もともとプロフェッョナルとは医者や法律家を指していたが、アボットは1981年の論文(Abbott, 1981)で、医師や法律家のような、いわゆるプロ(professions, professionals)のステータス(status)について考察し、プロフェッショナルの危機まで唱えているくらいだから。アボットは、まずプロのステータスには、

  1. 「プロ内ステータス」(intraprofessional status)
  2. 大衆(public)が尊敬する「プロとしてのステータス」(extraprofessional status)
の二つがあり、両者は整合的ではなく、むしろ対立していると主張している。たとえば医師の世界では、専門外科>一般外科・内科>……>一般診療・アレルギー・皮膚科・精神科 のような序列があると報告されている。こうした序列(ただし、アボットの論文の中では、これとは別次元の序列が次々と挙げられているので困惑する)を説明するものとして、(a)収入、(b)権力、(c)クライアントの地位、(d)困難さ(非ルーチン性)が挙げられてきたが、アボットはどれも否定する。そして、「プロ内ステータスはプロとしての純粋さ(professional purity)の関数である」(p.823)と主張する。

 それに対して、大衆が尊敬する「プロとしてのステータス」とは、プロ知識を通じた「無秩序への効果的な接触」(effective contact with the disorderly) (p.829)に基づくものである。論文には適切な例示がないが、たとえば、どこが悪いかわからないが、とにかく具合が悪く(無秩序)、医師に診てもらうとインフルエンザと診断されて適切な治療をしてもらう(効果的接触)、というようなとき、医師はプロとして尊敬され、大衆から「プロとしてのステータス」を得る。ところが、こうして第一線で活躍する医師(一般診療)のプロ内ステータスは低いのである。大衆が尊敬し、「プロとしてのステータス」を認められる人の「プロ内ステータス」が実は低い、という言い方をすれば、医師に限らず、学者の世界は、確かにその通りだろう(ただし、「プロ内ステータスはプロとしての純粋さの関数である」というのは、この論文におけるプロ内ステータスの暗黙の定義であり、まったくトートロジーである)。 そのため、医師や法律家といったプロ集団(professions; 専門的職業集団)内では、

  1. 診断: 問題の分類
  2. 推論: 診断の理由づけと治療の方向性や範囲の設定
  3. 治療: 問題解決のためのアクション
の中で、現場に近い1、3よりも遠い2に当たる人のステータスが高く、そのため、より高いステータスを求める競争の結果、プロフェッショナルがどんどん現場から乖離していってしまう。アボットは、そのことを「プロフェッショナルの危機」だとしていた。アボットは後に、それをプロフェッション間の支配権(jurisdiction)争いとそれに伴うプロ集団の序列化として整理している(Abbott, 1988)。

 ただし、プロフェッショナルの組織で発生する問題をなんでもかんでもプロフェッショナル特有の問題であると片付けてしまうのは間違いである。たとえば、医療組織における安全で円滑なサービス・オペレーションの実現が難しいのは、これまで、プロフェッショナルが実践の変化に抵抗するためであると考えられがちだった。ところが、Abe (2022)が取り上げる倉敷中央病院のケースでは、安全で円滑なサービス・オペレーションの実現を阻んでいた真の要因は、実際には、ユニット間のコミュニケーション不足だったのである。

管理システム

 官僚制組織に対するもう一つの対立概念的な提案が、有機的な管理システムである。プロフェッショナル的な要素も一部含んだ概念である。後にコンティンジェンシー理論の研究としても有名になるが、英国のバーンズ=ストーカーは、組織がその各メンバーに対して彼自身と他のメンバーの行為を制御する権利と制御される義務、そして情報を受ける権利と伝える義務とを与え、定める機構として管理システム(management system)を定義した(Burns & Stalker, 1961, p.97)。そして、表1のように、両極端の管理システム、機械的システム(mechanistic system)と有機的システム(organic system)の特徴を挙げている。このうち、機械的システムが、官僚制に相当する管理システムで、その特徴を裏返したものが有機的システムだという位置づけである。バーンズ=ストーカーは、英国イングランドとスコットランドの20の企業を調べ、変化率の小さな環境では官僚制に相当する機械的システムが、変化率の大きな環境では有機的システムがうまく機能すると主張した。具体的に提示された証拠が乏しい主張ではあったが、これがコンティンジェンシー理論の嚆矢とされる研究である。

表1. 機械的システムと有機的システムの特徴
機械的システム有機的システム
(a)企業全体の課業は職能別課業に専門化専門的知識・経験が企業の共通課業に貢献
(b)個々の課業は抽象的個々の課業は具体的
(c)各階層では、直接の上司が調整他の人との相互作用を通して調整・継続的再定義
(d)権利、義務、方法の正確な定義誰か他人の責任として片付けない
(e)権利、義務、方法を職能的責任に置き換える技術的な定義を越えての企業とかかわる
(f)統制、権限、伝達の階層構造統制、権限、伝達のネットワーク構造
(g)情報は階層トップに独占的に集中する情報はその場限りのセンターに集められる
(h)メンバー間の相互作用の垂直的傾向組織内伝達は垂直というより水平方向
(i)上司の指示・決定で作業、行動伝達の内容は指示・決定よりも情報・助言
(j)企業への忠誠、上司への服従を強要企業全体の課業や進歩への積極的関与を重んじる
(k)内部の知識、経験、技能を重視企業外で有効な関係・専門知識を重視
(出所) Burns and Stalker (1961, pp.119- 122)の(a)〜(k)の記述を簡略化したもの。


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