日本企業で見られる意思決定の多くは、ゲーム理論や決定理論から見ると一見不合理なものに感じられるが、実は「未来の重さ」によって導かれた合理的なものである。囚人のジレンマ・ゲームに代表されるような非ゼロ和の世界では均衡も安定ももはや説得的ではない。Axelrod (1984) The evolution of cooperationの協調行動の進化(evolution of cooperation)の研究では、現在の目先の利益や過去の裏切りへの復讐を選択せずに、これから将来の協調関係を選択するプレイヤーが生き残るとされる。繰り返し囚人のジレンマ・ゲームで、次回の対戦が行われる確率である未来係数(future parameter)は、未来の重さを表している。未来の重さは、単なる概念としてではなく、経営の現場で、組織メンバーの実際の行動に意味を与えてきたし、実際に、手応え、やりがい、生きがいとなって、日本企業の社員の日常感覚の基礎をなしている (Takahashi, 2013)。
日本企業では、組織メンバーは、高橋(1996)、Takahashi (2013)が言うところの未来傾斜原理に則って行動しているのではないだろうか。そのことを直接的に検証するために、Takahashi (2014) では、組織に参加し続けるか、あるいは組織 を離れるか、という参加の意思決定に焦点を当て、その要因を未来係数の観点から解明する。そのために、未来係数の一種として高橋(1996)、高橋(1997, chap.2)が開発した「見通し指数」(perspective index)を使った。見通し指数は下記の5問の合計点として定義される。
Takahashi (2014)は、職務満足も退出希望も、見通し指数によって、ほぼ説明可能であることを、1992年〜2000年に年1回ペースで行なわれたJPC調査約9,000人分の調査データで明らかにした。同時に、見通し指数が高くなるほど、現在の職務満足が退出希望に影響しなくなることも明らかになった。職務満足と退出希望の間の相関関係は、実は未来係数の小さな世界で観察される現象だったのである。
日本企業X社は、2005年の組織変革を成功させた。Takahashi, Ohkawa, and Inamizu (2014)は、組織改革前からの2004〜2013年度の毎年度1回10年度にわたって全数調査したX社のデータを使って、見通し指数についての追試を行った。それとともに、JPC調査のデータ(Takahashi, 2013)との比較も行った。X社のデータでも、見通し指数と満足比率・退出願望比率との間にはほぼ完全な線形性があった。そして職種別、職位別にみると、組織改革をはさんで、年度によって大きく値が変動するものの、ほぼ直線上を動いていた。
高橋(1996)は、7社の横断的調査で、見通し指数は、(a)入社直後と永年勤続者で高く、(b)勤続年数「5年以上10年未満」で底を打つU字型になる傾向を見出していた。そこでTakahashi (2018)は、X社の年1回12年度分の全数調査データを用いて検証したところ、(A)入社直後と永年勤続者で見通し指数が高いU字型になる傾向は、どの年度のデータでも安定的に見られたが、(B)見通し指数の底の部分は時間経過とともに移動していた。このことは、勤続年数とは無関係に相対的に見通し指数が低い者が集まった世代が存在し、その勤続年数が増えるために現れるコーホート効果と考えられる (高橋, 2020)。
Okada and Inamizu (2014)は、ある信用金庫のパートタイム職を含む全従業員を対象に、高橋(1997)で開発された組織活性化カルテoractikaを用いた調査が行われた。調査の結果、Takahashi (2014)と同様に、「見通し指数」は、職務満足との間にほぼ線形の正の関係があり、退職願望との間にはほぼ線形の負の関係があることが改めて確認された。つまり、見通し指数が高くなれば職務満足は高くなり、退職願望は低くなるということである。また、職種を分けて分析したところ、パートタイム職では、全体的に職務満足が高い傾向があることが明らかとなった。同時に、他の職種と比べて、退職願望は同等もしくはやや高い傾向が見られた。以上から、職務に不満を持つパートタイム職は退職してしまい、会社に残った人だけで見ると、職務満足が高くなることが示唆された。
Inamizu (2015)は、日本の電機産業における97事業所の職場リーダー354名、製造作業者3116名から得られた質問紙調査のデータを用いて、見通し指数と職務満足、退出願望の関係について検討した。主にホワイトカラーを対象とした高橋らの一連の研究により、見通し指数は、職務満足とほぼ線形の正の関係が、退出願望とほぼ線形の負の関係があることが指摘されてきたが、この調査でも、製造現場のリーダーおよび作業者においてもほぼ同様の関係が見られた。また、高橋(1997)と比較して、製造現場のリーダーの職務満足のレベルはあまり変わらないが、製造作業者の職務満足のレベルは一貫して高い傾向が見られた。さらに、製造作業者の退出願望のレベルは、高橋(1997) と比較して、一貫して低い傾向が見られた。
未来係数を向上させるにはどうしたらいいのか。X社は、日本全国に事業所を展開する正社員約1300人の大企業であるが、社長が各事業所に視察に行き、従業員たちと対談する機会を設けたことで、そうではない事業所と比べて未来に期待がもてて、未来係数を向上させる効果があったことが調査票のデータから明らかになった。さらに対談後に社長が出席する懇親会への従業員の参加率が80%以上になると、その効果がさらに高まったことがわかった。しかし、社長が交代し、こうした実践が中止されると、効果は失われていく。つまり未来係数は定数ではなかったのである。それを維持するには、不断の実践が必要だったことになる(Takahashi, 2018)。
Liu and Takahashi (2021)は、中国の大学・大学院を卒業して日本で日本企業に働く中国人社員をインタビュー調査した結果、先行研究で指摘されていた異文化間ギャップ、日本語力、職場での人間関係といった要因は4面モチベーション・スコアとあまり関係していなかった。しかし、キャリア・パースペクティブの存在は学習をはじめとするモチベーション・スコアに関係しているようだった。モチベーション・スコアが低かった中国人社員は、日本国内での就職活動では行われている説明会や先輩社員とのコミュニケーションの場が制約され、キャリア・パースペクティブをもてなかったために、入社後に、目の前の仕事への不満が顕在化したようだった。中国人は「発展空間」を重視すると言われるが、パースペクティブが重要であることは中国人に限らない。実際、高橋 (1996)、Takahashi (2013)、Takahashi (2014)と Takahashi, Ohkawa, and Inamizu (2014)はモチベーションにとって見通し(perspective)が重要であることを指摘し、見通し指数(perspective index)で職務満足比率や退職願望比率を説明できることを調査データで検証していた。