経済学のコーポレート・ガバナンスの議論では、株式の所有構造は説明変数として扱われる。それは、Berle & Means (1932) The modern corporation and private property (Macmillan)が、株式の広範な分散が専門経営者による経営者支配を進めたと説明する図式をそのまま引き継いでいる。ところが、Chandler (1977) The visible hand: The managerial revolution in American Business (Belknap Press of Harvard University Press)が描く当時の電話や鉄道の事例を検討し直すと、電話では因果関係の矢印はむしろ逆向きで、優れた専門経営者が資本の大規模化を進め、その結果として、株式の分散化が進んでいた。鉄道では、そもそも管理業務はあまりにも複雑で、特別な技能と訓練を必要としたために、経営は専門経営者に任されたのである。要するに、所有構造は所有と支配の分離の説明変数ではなかった。実際、当時の日本では、所有の分散のない財閥で専門経営者が台頭していた(Takahashi, 2017)。
「所有物であれば何をしても自由である」と考えるならば、あなたの「所有」観は、あまりにも稚拙で幼稚である。これは、所有の対象が、動物であれ、物であれ、会社であれ、まったく同じである。所有者には責任がある。たとえオーナー経営者であっても、自分の会社だから何をしても自由というわけではない。それは会社の私物化であり、処罰されることになる。肝心なことは、自分が所有者だと名乗る以上は、所有者には責任があるという当り前の自覚を持つということなのだ(Takahashi, 2019)。
近年、日本企業では米国にならって独立社外取締役の導入が急速に進められている。独立社外取締役は経営者に対する監督機能、とりわけ経営者報酬の決定において重要な役割を果たすと考えられており、米国企業について、そのことを実証した先行研究もある。ただし、それに懐疑的な研究も存在する。そこで、Bui (2020) は、米国企業を対象とした先行研究 Chhaochharia and Grinstein (2009) に倣って、TOPIX500に選出されている非金融事業会社のうち条件に合った日本企業322社を対象に、独立社外取締役の増加が経営者報酬に与える影響を分析したが、先行研究が示したような統計的に有意な影響は見られなかった。実際には、取締役会の構成といった要因よりも、各社が独自に決めている経営者報酬の構成が、経営者報酬の水準に大きな影響を与えていることがわかった。