事業部制の登場で、チャンドラーは「機構(組織)は戦略に従う」(structure follows strategy) (Chandler, 1962, p.14 邦訳p.30)という有名な命題を唱えたが、ほぼ同時期に、組織は環境に従うとするコンティンジェンシー理論が登場した。代表的な論者としては、管理システムを研究した英国のバーンズ=ストーカー(Burns & Stalker, 1961)が、1961年に、英国イングランドとスコットランドの20の企業を調べ、変化率の小さな環境では官僚制に相当する機械的システムが、変化率の大きな環境ではその裏返しである有機的システムがうまく機能すると主張した。ここで管理システム(management system)とは、組織がその各メンバーに対して彼自身と他のメンバーの行為を制御する権利と制御される義務、そして情報を受ける権利と伝える義務とを与え、定める機構として定義されている(Burns & Stalker, 1961, p.97)。そして、表1のように、両極端の管理システム、機械的システム(mechanistic system)と有機的システム(organic system)の特徴を挙げたのである。このうち、機械的システムが、官僚制に相当する管理システムで、その特徴を裏返したものが有機的システムだという位置づけである。具体的に提示された証拠が乏しい主張ではあったが、これがコンティンジェンシー理論の嚆矢とされる研究である。
表1. 機械的システムと有機的システムの特徴
機械的システム | 有機的システム | |
---|---|---|
(a) | 企業全体の課業は職能別課業に専門化 | 専門的知識・経験が企業の共通課業に貢献 |
(b) | 個々の課業は抽象的 | 個々の課業は具体的 |
(c) | 各階層では、直接の上司が調整 | 他の人との相互作用を通して調整・継続的再定義 |
(d) | 権利、義務、方法の正確な定義 | 誰か他人の責任として片付けない |
(e) | 権利、義務、方法を職能的責任に置き換える | 技術的な定義を越えての企業とかかわる |
(f) | 統制、権限、伝達の階層構造 | 統制、権限、伝達のネットワーク構造 |
(g) | 情報は階層トップに独占的に集中する | 情報はその場限りのセンターに集められる |
(h) | メンバー間の相互作用の垂直的傾向 | 組織内伝達は垂直というより水平方向 |
(i) | 上司の指示・決定で作業、行動 | 伝達の内容は指示・決定よりも情報・助言 |
(j) | 企業への忠誠、上司への服従を強要 | 企業全体の課業や進歩への積極的関与を重んじる |
(k) | 内部の知識、経験、技能を重視 | 企業外で有効な関係・専門知識を重視 |
同じく英国のウッドワード(Joan Woodward; 1916-1971)は、英国イングランド南東部、テムズ川河口部の北岸一帯のエセックス(Essex)州で、テムズ川の北岸に沿ってロンドンとの境界からコリトン(Coryton)の石油埠頭、およびその後背地で州都シェルムスフォード(Chelmsford)まで広がる「サウス・エセックス」(South Essex)地域の全製造関係企業203社のうち従業員数が101人以上の110社中100社を対象にして、1954年9月〜1955年9月まで調査を行った。この「サウス・エセックス研究」としても知られる調査の結果、表2のように分類される生産システムによって、たとえば図1に示されるように、組織の構造やシステムが異なっていたと指摘した(Woodward, 1965)。
表2. 生産システム
企業数 | 生産システム | ||
---|---|---|---|
数える製品 | 単品・小バッチ生産 | 5 | 1 顧客の求めに応じた単品生産 |
10 | 2 プロトタイプの生産 | ||
2 | 3 大規模設備の組立 | ||
7 | 4 顧客の注文に応じた小バッチ生産 | ||
大バッチ・大量生産 | 14 | 5 大バッチ生産 | |
11 | 6 組立ラインでの大バッチ生産 | ||
6 | 7 大量生産 | ||
量る製品 | プロセス生産 | 13 | 8 多目的プラントによる化学製品の断続的生産 |
12 | 9 液体、気体、結晶体の連続的フロー生産 | ||
混合 | 3 | 10 標準部品大バッチ生産後に多様に組み立てる | |
9 | 11 結晶体プロセス生産後に標準生産法で販売準備 |
図1. 生産システムによって異なる組織構造の例
(出所) Woodward (1965) p.52, Figure 13; p.62, Figure 20。
それまでの経営学、たとえば科学的管理法では、最良の組織化の方法を追求するという姿勢がみられたわけだが、このように1960年代に入ると、英国のバーンズ=ストーカーやウッドワードのように、組織化の方法に唯一最善のものは存在せず、技術や不確実性といった環境的条件に依存していると主張する研究が続々と出てきたのである。そして、米国のローレンス=ローシュ(Lawrence & Lorsch, 1967)は、組織と環境との相互作用を扱った調査研究をレビューし、自分達の研究も含め、これらの調査研究が最適な組織形態が市場・技術環境によって条件づけられて(contingent upon)決まるという共通認識をもっていたことから、これらを総称してコンティンジェンシー理論(contingency theory)と呼んだ。条件適合理論、環境適応理論と訳されたこともあるが、現在ではコンティンジェンシー理論とするのが一般的である。
といってもコンティンジェンシー理論には、理論らしい理論はなく、当時普及しだしたコンピュータと統計パッケージを使って、アンケート・データを多変量解析したものだった。こうすれば論文になるということだけが広く認知され、それ以降、コンティンジェンシー理論が世界中で大流行し、論文が山のように出現することになる。しかし、データの収集の方法等のリサーチ・デザイン(これについては、高橋(2015)を参照されたい)が欠如し、結局、コンティンジェンシー理論で何が言えたか分からないままにブームは終焉した。1980年代以降、その反動で、今度は、ケース研究に終始する研究者が増え、一般化できないことを自己弁護するために方法論(Yin, 1981; Eisenhardt, 1989, Eisenhardt & Graebner, 2007)で武装するという悪しき習慣が後遺症として残ってしまった。
そんな中で、ローレンス=ローシュと同年の1967年に出版されていたトンプソン(James D. Thompson; 1920-1973)の著作(Thompson, 1967)は、コンティンジェンシー理論という用語こそ使用していなかったものの、近代組織論の延長線上に位置する技術を軸とするコンティンジェンシー「理論」を提示していた。その後、トンプソンの強い影響を受けて、ガルブレイス(Jay R. Galbraith, 1939-2014)は情報処理モデルを唱え(Galbraith, 1973)、コンティンジェンシー理論を組織設計の枠組みとして整理し直したが、議論は明解な半面荒っぽく、精緻さには欠けていた。数学的モデルを使った理論化としては、数理的組織デザイン論(Takahashi, 1987; 1988)では、組織形態は組織構造と管理システムとの組で表現され、課業の逐次決定モデルの一部を構成することになる。Takahashi (1992)は、こうした数理的組織デザイン論の帰結を活性化のフレームワークとの関係に落とし込んでいる。
1970年代はコンティンジェンシー理論に代表されるマクロ組織論の時代だった。組織と外部環境の関係を論じたマクロ組織論を整理しておこう。
1970年代には、組織と組織の関係を扱った組織間関係論も登場する。これも広くとらえれば組織と環境(としての他の組織)の関係に含まれる。代表的な理論としてはフェッファー=サランシックの資源依存理論が挙げられる。二人は『組織の外的コントロール』(Pfeffer & Salancik, 1978)において、図10のような図式を提示し、提携・合併をはじめとしたさまざまな場面で、組織が他の組織から制約を受けていても、打つ手はあると主張する。相手組織がパワーをもっているのは、簡単に言ってしまえば、自分たちが相手組織に資源を依存しているからなので、たとえば、基幹部品をたった一つのメーカーから買っていれば、そのメーカーからの部品供給が止まった途端、工場は立ち行かなくなるために、どうしてもその会社の言うことをきかなくてはいけなくなる。こうした場合、基幹部品の供給元を複数にして、資源依存度を下げればいいと考えるのである。
図2. 組織環境の次元間の関係
(出所) Pfeffer and Salancik (1978) p.68, Figure 4.1。
ただ、Pfeffer and Salancik (1978)の出版から25年を経て、2003年に再版(Classic Edition)がなったとき、既にサランシック(Gerald R. Salancik; 1943-1996)は1996年に亡くなっていたので、フェッファー(Jeffrey Pfeffer; 1946-)は、一人で書いた序文(Pfeffer, 2003)の中で、次のようにまとめ、述懐している。まず、同書の中心テーマとして、次の三つを挙げている。
自虐的なフェッファーとは対照的に、ほとんどトートロジーで無意味なのに、自信満々でノーベル経済学賞までもらってしまったのが、ウィリアムソンの取引コスト理論である(Williamson, 1975)。たとえば、さきほどの基幹部品の例では、供給元を複数にすることで資源依存度を下げたが、そもそも外注せずに、その基幹部品を自社内で内製するという選択肢も考えられる。つまり、社内で作るか、社外から買ってくるか(make or buy)という選択肢が存在する。これは内外製区分の決定ともいわれ、実務の世界では、こうした場合、品質・コスト・納期(QCD)、さらには生産能力、景気変動などに対するフレキシビリティ(柔軟性)等々さまざまな要因を考慮して内製するか、外注するかを決めていくことになる。もちろん、供給元を分散するという配慮も加わるわけで、実務の世界では、資源依存理論は基本なのである。
それに対して、ウィリアムソンは、社内での取引コストと市場での取引コストを比較して、より安い方が選択されたのだと主張する。これが取引コスト理論である。その際、社内での取引を選択したのは、(a)限定された合理性と(b)機に乗じて自分に有利に運ぶように行動する機会主義がからんで市場での取引コストの方が高くなったからだろうとその要因を図3のように示した。これで2009年のノーベル経済学賞を受賞する。ただ、それで説明ができていると主張するには、そもそも取引コストを取引とは独立に測定して、市場での取引コストの方がより高くなっていることを立証しなくてはならないが、実際には、「社内で取引が行われているのは、市場での取引コストの方がより高いからなんでしょう」としか言っていない。
図3. 組織が失敗する枠組み
(出所) Williamson (1975) p.40, Figure 3。実際には「市場が失敗する枠組み」のはずなのに、なぜか「組織の失敗の枠組み」と呼んでいる。
しかし、それ以前に大問題がある。実は、ウィリアムソン(Williamson, 1975)は、その序文(Preface)の冒頭の段落(p.xi)にも明言されているように、書名の通り、市場取引(market transactions)と(組織内の)階層的取引(hierarchical transactions)を対照して考察しているのであり、その際、第1章の第2段落(pp.1-2)に書いてあるように、「取引完遂に伴うコスト」つまり取引コストを比較することに焦点があてられる。気が付いたであろうか。実は、そもそも日本の自動車メーカーとサプライヤー(下請け)との取引は、明らかに階層的取引であって(だから誰もが指摘するように取引コストが安い)、ウィリアムソンが言うところの市場取引ではないのである。したがって、日本の自動車メーカーの内外製区分の決定を取引コスト理論で説明できるわけがない。内外どちらも階層的取引なのだから。階層的取引を勝手に社内取引に読み替えて、サプライヤーとの取引は社外取引だから市場取引と、経済学者も経営学者もみんなで勘違いに浸ってきたが、そろそろ目を覚ましてもいいのではないだろうか。
1970年代には、個体群生態学(population ecology)も登場している。「組織は環境に適応していかないと生き残れませんよ」「古いものは生き残れませんよ」みたいな強迫観念にかられている人からすると、意外な主張を展開した。一般に組織論では個体レベルつまり組織を単位とした分析が行われる。それに対して、個体群生態学では個体群レベルの分析が行われる。たとえば、日本の自動車産業の系列取引を考えてみよう。各自動車メーカーにはかなりの数のサプライヤー(=部品メーカー)が群をなして長期継続的取引をしている。このサプライヤー群が個体群である。サプライヤーの能力向上を議論するとき、通常の個体(組織)レベルの組織論であれば、各サプライヤーの組織が進歩し、学習すると考える。それに対して、個体群レベルでは、劣った性質の個体が淘汰され、優れた性質の個体が生き残ることによる個体群が進化すると扱うことになる。
実際、長期継続的取引が特徴の日本の自動車産業の系列取引ですら、図4に示されるように、かなりの数のサプライヤー(=部品メーカー)が、取引停止や他社との合併の形で淘汰されている。劣ったサプライヤーが淘汰されたおかげで、残ったサプライヤー群の能力の平均が向上したと考えることもできる。そして図4をよく見ると、トヨタ系のサプライヤーの淘汰率が低いことが分かる。仮にサプライヤー群の能力向上が3系とも同レベルだったとすると、トヨタ系の場合は、淘汰による進化ではない個々のサプライヤーの進歩、学習の効果が大きかったのではないかという推察が成り立つ。
図4. 日本の自動車会社の各協力会におけるサプライヤーの残存率
(出所) 山田(1999) p.124, 図3。
個体群生態学で、個体群の環境適応を考える際に、むしろ個体レベルでは環境による組織の淘汰を考えるのは、組織には構造的慣性(structural inertia)があるので、個体としての組織の環境適応には限界があり、環境に合っていない組織は淘汰されてしまうのだと割り切って考えるのである。さらに遡っていえば、そもそもその構造的慣性ですら、生態学的進化の淘汰プロセスの結果として、構造的慣性の高い組織が生き残ったから、組織が構造的慣性を持っているのだと理解する(Hannan & Freeman, 1984, p.149)。つまり個体レベルで適応と淘汰を比べれば淘汰が勝るので、むしろ構造的慣性の高い組織の方が生き残ると主張したのである。現実にも、古い組織よりも新しい組織の方が失敗する割合が高いという「新しさの不利益」仮説が唱えられ、半導体製造企業、地方新聞社、全国的労働組合組織など、多くの実証研究で、この新しさの不利益が確認されている。
日本では、1980年代に、個体群生態学を意識せずに、『会社の寿命』(日経ビジネス, 1984)がきっかけで「会社の寿命30年説」なるものが流行ったことがある。同書は、1896年〜1982年だいたい10年ごとに10期調べられた総資産額でみた「日本のトップ企業100社」のランキング表をもとに「企業が繁栄をきわめ、優良企業グループ入りできる期間は平均2.5回、つまり1期10年として30年足らず」と結論したのである。実際、図5を見ればわかるように、全体の8割近い会社が3期以内にランキング表から姿を消していた。しかし、「会社の寿命」というネーミングはそもそも誤解を招く。実は、破綻して消えていった多くの会社は、本業にしがみついていたから「会社の寿命が尽きて消えた」のではなく、多角化に乗り出して失敗したがために脱落したのだといわれている。
図5. 総資産額上位100社にランク入りしていた期数 (1期約10年)
(出所) 高橋(2016) p.18, 図1・1。
しかも、高橋(1995, ch.1)が指摘したように、『会社の寿命』の結論の出し方は方法論的に間違いが多い。例えば最後の1982年に初登場した企業は1回しかランキング表に登場しないわけだが、実際にはその後もランク入りし続ける可能性が高い。実は、寿命の推定には、こういった打ち切りデータ用の生存時間解析(またはイベント・ヒストリー分析)を使う必要があり、個体群生態学では、生存時間解析を使って、打ち切りデータから「死にやすさ」を推定していた。そこで、日本の会社の寿命に関して、この生存時間解析を使うことで、清水(2001)は驚愕の数字をはじき出す。戦後、東京証券取引所が開設された1949年から1999年初までに東証第一部に上場した1,275社の上場期間についてのデータを用い、平均上場期間を推定すると156年にもなったのだ。さらに対等合併の際はどちらも存続していると扱う合併補正を行うと、平均上場期間は、なんと228年にもなった。個体群生態学の研究は20世紀の最後の20年に盛んにおこなわれ、慣性の源泉、すなわち組織の行動パターンの継続性の源泉として、ルーチンが重要視されていた。ルーチンがしっかりしていて、行動パターンに継続性がある企業が生き残ってきたのである。