ところで、職能別組織であれ、事業部制であれ、持株会社であれ、通常の組織図は図1(1)のように描かれる。ピラミッド組織とも呼ばれるが、一人の人には一人の上司がいる、という図である。会社といえば、まずイメージするのが、このピラミッド組織で、組織が大きくなるには階層構造を作る必要がある。もちろんベンチャーなどでは、フラットな組織構造をした会社もあるが、それだと、成長して40〜50人くらいの規模になると分裂してしまい、いつまでたっても大きな会社になれないケースをよく見かける。表面的であれ、上司・部下の上下関係を受け入れ、階層構造にしないと、会社は大きくなれない。
それに対して、図1 (2)のような図に描ける組織もある。たとえば、「ファンクショナル組織」である。提唱したのは、実は、組織論の源流の一つである科学的管理法のテイラーなのである。彼は科学的管理法を推し進めるために、職能式職長制(functional foremanship)を唱えた(Taylor, 1903, ch.3)。テイラーは一人の万能職長に代えて8人の専門職長(準備係、速度係、検査係、修繕係、仕事の順序および手順係、指導票係、時間および原価係、工場訓練係)を置いて、それぞれが工員に直接指示・命令を出すことを提案したのだった。その理由は、もしこれだけの仕事を一人で出来る万能職長がいたとしたら、そんな人は支配人か工場長になれるのであって、そもそもそんな人材は少ない。だから現実的に考えれば、管理の仕事は多くの専門職長で分担した方がいいというわけである。したがって、テイラーの提案どおりだと、図1(2)の◎は8人もいて、そのそれぞれが現場の工員○に別個に専門の指示を与えることになる。しかし、8人の専門職長からばらばらの指示・命令を受ければ現場は混乱するだろう。実際、この試みはうまくいかなかったといわれている。
(1)ピラミッド組織 (2)ファンクショナル組織
図1. ピラミッド組織 対 ファンクショナル組織
(出所) 高橋(2004) p.67, 図1。
それに対して、もう一つの組織論の源流である経営管理論では、テイラーと同時期に活躍したフランスの大企業の経営者ファヨール(Henri Fayol)は、命令系統の一元化の原則を唱えた。経営管理論の最初の書物といわれる『産業ならびに一般の管理』(Fayol, 1917)の中で、ファヨールは自分がもっともよく用いた管理の一般原則として14の原則を挙げ、その4番目の原則が「命令の一元性」(unite de commandement)だったのである。すなわち、任意の活動について1担当者(agent)はただ1人の責任者(chef)からしか命令を受け取ってはならないというものである(Fayol, 1917, pp.25-27 邦訳pp.48-50)。
他方、1969年に米国のアポロ11号が月に着陸するのだが、米国のNASA (National Aeronautics and Space Administration; 航空宇宙局)は、このアポロ計画に関係した米国の航空宇宙産業の企業に対して、研究開発契約の受諾条件として、プロジェクト管理方式を課したことに端を発してプロジェクト組織の導入が始まったといわれている。このことで、従来からの縦割りの職能別(たとえば総務、経理、購買、製造、販売等)のピラミッド型の組織に、プロジェクト別にマネジャーが置かれ、プロジェクト・チームという横串を刺したような編成が行なわれるようになったのである。
こうして、航空宇宙産業に代表されるようなプロジェクトで仕事をしてきた企業では、ピラミッド組織を基本としながらも、新しいプロジェクトに対しては、そのピラミッド組織に重複、横断する形でプロジェクト・チームを組織して、ひとたびプロジェクトが終了するとプロジェクト・チームを解散し、構成メンバーをピラミッド組織の本来の所属に戻すというやり方で、一時的ではあるが複元的な命令系統がみられるようになった。
つまり、プロジェクト・チームというのは、もともと一時的に設置されるもので、プロジェクトが完成されれば解散する性質のものである。それが恒常的に持続されるようになった、というのがマトリックス組織なのである。こうした発展段階を経て、米国の宇宙開発が盛んだった1960年代の航空宇宙産業においてマトリックス組織が誕生したといわれている。そして1970年代になると一種のマトリックス組織ブームが起きて、次々と書物も出版された。マトリックスというのは数学の「行列」の意味もあるが、図2のような形状を指して、そう呼ばれたのであった(高橋, 2004, pp.66-73)。
図2. マトリックス組織の概念図
(出所) 高橋(2004) p.70, 図2
しかし、こうなると、現場では、職能別部門でみたときの上司とプロジェクトのマネジャーと二人の上司が恒常的に存在することになってしまう。そこで、このマトリックス組織に関して、命令系統一元化の原則に反した組織であると明確にしたのが、デイビス=ローレンスだった。つまりマトリックス組織の本質は、図形的には図1と同じ図3で対照されるように、命令系統が一元化したワンボス・モデルではなく、ツーボス・モデルであることだと明確に説いたのである。より正確には「多元的命令系統を組み入れた組織なら、それが構造に限らず、支持メカニズムであれ、組織文化であれ、行動パターンであれ、どんなものでもマトリックス組織である」と定義したのである(Davis & Lawrence, 1977, p.3 邦訳p.6)。
(1)ワンボス・モデル (2) ツーボス・モデル
図3. マトリックス組織はツーボス・モデル
(出所) 高橋(2004) p.67, 図1。
実は当時、命令系統一元化の原則は、米国流の経営学の教科書によく載っている有名な経営原則なのに、日本の企業では守られていないということが、半ば公然化していた(Takahashi, 1986)。少なくとも1970年代の半ばまでは、多くの日本の経営学者が、米国の経営学の教科書に書いてあることと食い違っているというただそれだけの理由で、日本企業の後進性の表れであると考えていたし、命令系統一元化の原則を守るようにと批判していた(高橋, 2004, pp.72-73)。しかし、1977年になるとデイビス=ローレンスが、日本のそうした現状を追認して、「日本ではマトリックスの構造や行動は、すでに日常の組織の中に自然な形で溶け込んでいるので、とりたてて公式のマトリックス構造を作り上げ、それに公式の名称をつける必要がない」(Davis & Lawrence, 1977, p.55 邦訳p.90)とまで、日本はマトリックス的で素晴らしいとほめるようになってしまったのだ。
実際、1983年の調査(Takahashi, 1986)でも、「貴社での活動計画の決定、実行についてお答えください。」という質問の中で「貴社では、そのように決定した活動計画を実行する際に、実行する部門とその上司との間の権限関係はどのようになっているでしょうか。次のうちどちらか一つをお選びください。」と図7を使って質問すると、東京証券取引所上場企業294社からの回答で、ワンボス・モデルの図(1)を選んだ会社が63.6%にとどまり、ツーボス・モデルの図(2)を選んだ会社が36.4%にも及んでいた。
ただし、組織論の起源や経営管理論でもふれたように、組織では調整問題が発生することを考慮する必要がある。ツーボス・モデルでは、複数の上司をもったマネジャーが常に調整の必要に迫られることは容易に想像がつく。しかし、「これは経営者になるための貴重な訓練であり、まさしくマトリックス経営の狙いでもある」(Davis & Lawrence, 1977, p.91 邦訳p.144)と考えられている。すなわち、仮にツーボス・モデルが、ワンボス・モデルと比較して余計に調整コストがかかったとしても、それは経営者になるための訓練コストなのだと考えようというわけである。その意味でも、マトリックス経営に変わることは大きな発想の転換といえる。