日本企業の生産システムは、その優れた生産性から企業特殊的優位があるといわれる。そして、トヨタ自動車に代表されるように、マザー工場制は日本的生産システムを海外に移転する主要な手法として使われてきた。「マザー工場」という用語は、日本のマスメディア、日本の学術研究、海外の学術研究においては、初期は「海外工場を継続して支援するユニット」という意味で用いられてきた。しかし、時間が経つにつれて、日本の学術研究以外はマザー工場という言葉に対して多様な意味を持たせて使うようになった(Oki, 2016)。今では、マザー工場制は、日本の製造業企業の国際分業体制として広く普及しているとされる。そのため、マザー工場と呼ぶ事業所をとりあえず置いておく風潮も生まれた。たとえば、Hamamatsu (2017)が指摘した事例では、顧客であるセットメーカーからの要求に応じて、サプライヤーが「建前としてのマザー工場」をもっていた。この「マザー工場」は、先行研究がいうところの a unit that continuously supports overseas factories ではなかった。つまり、海外自社工場に対してではなく、顧客である日系企業に対して、技術支援サービスを提供するために、建前として「マザー工場」にしておく必要があったのである。また、マザー工場の中には、ミネベアの本国拠点のように、量産活動から撤退した後も、量産活動を持たない本国拠点が、マザー工場として、海外工場から量産活動に関する情報を積極的に集め、量産に関する知識を蓄積し続けた例もある。言い換えれば、活動を持たずとも知識を保有する「知識集約型マザー」となることで、海外拠点の量産活動を支援し続けることができたわけである(Oki, 2015)。
韓国の現代自動車は、明らかにマザー工場制とは違う方式で海外移転していた。Suh ( 2016)は、それをモデル工場制と呼んでいる。日本のトヨタ自動車のマザー工場制は本国工場が中心になって知識移転を行っているのに対し、韓国の現代自動車のモデル工場制では本国本社が中心になって海外への生産システムの知識移転を行っている。とはいえ、トヨタ自動車と現代自動車は、グローバル新モデル同時立ち上げの問題を解決するために、ほぼ同時期に類似の機能をもつ組織を設立した。トヨタ自動車のGlobal Production Center (GPC)と現代自動車のパイロット・センターである。どちらも従来の量産ラインとは離れてパイロット生産ラインをもつ新組織だった。ただし、マザー工場制をとるトヨタのGPCは、本国工場の補完的役割を担っているのに対し、モデル工場制の現代は、パイロット・センターを本国工場から独立して機能させようとしたという違いがある。トヨタは競争力のある本国のマザー工場の負担を減らすための対応であり、現代は競争力の源泉となりにくい本国工場から距離を置くための対応だったのである(Suh, 2017)。
Oki (2012)は、タイの日系海外工場の現場作業員の改善活動の導入に関して、3年間の変化を観察する深いフィールド調査を行った。その結果わかったことは、改善活動が成果を挙げるには、まず、(a)トップマネジャーのコミットメントが必要であること。さらに、改善活動の導入期・推進期において好意的に受け入れられることが重要なので、(b)現地文化に合わせた改善活動の推進が必要になること。そのためにとられた方策は、まず1年目の導入期には、タイの文化、タイの陽気さに合わせ、改善活動を「楽しい(funny)」ものと認識させることであった。その上で、2年目以降、より成果に重点をおいたシフトチェンジを行っていた。もし1年目からコスト削減を求めれば、好意的に受け止められず、改善活動が浸透しなかったかもしれない。つまり、(c)段階的な改善活動の変化が必要になる。
現地顧客のニーズを的確に反映した現地化製品の開発は、グローバル標準品で事業展開をしてきた多くの日本企業にとって悩ましい問題である。なぜなら、コストや性能に関する現地顧客の感覚及び価値基準は暗黙的な市場知識だからである。それ故、日本人エンジニアが持つ技術知識だけでは現地化製品の開発を成功させることは難しく、現地人エンジニアの役割が重要となる。デンソー・インドの事例では、現地においてのエンジニアリング機能強化のため、1990年代末の工場立ち上げ時から本国日本での研修を行い、確実に設計・開発業務ができる人材を育成してきた。それが、本国の技術知識と現地の市場知識とを効果的につなげるのに役立っている。現地人エンジニアの本国研修を通じて、本国の技術的リソースとより効果的な連携がとれる人材を育成することができた。また、現地人エンジニアは、現地顧客と暗黙的な市場知識を共有しているため、顧客ニーズをより正確に観察・解釈し、製品コンセプトとして仕上げることができる(Kim, 2013)。
ただし、多国籍企業の知識移転や現地拠点のイノベーションに関連して、本社組織内部の研究はあまりなく、まるで本社内のメンバーは海外子会社に対して積極的に知識や情報を移転しようとするはずだという暗黙の前提があるかのようである。しかし、実際には、日系自動車サプライヤー1社の事例では、本社エンジニアが、(a)モチベーションの欠如、(b)開発元の認識差、(c)現地エンジニアの高い離職率の3つの問題に直面していた。この3つの問題から生じた本社エンジニアの心理的抵抗が、現地顧客対応に必要となる製品開発 タスクの海外移転が上手く進まない原因となっていた(Kim, 2015)。