Katz and Allen (1982)はNIH症候群を検証した論文として引用されることが多いが、実際には、
Chesbrough (2003) Open innovation: The new imperative for creating and profiting from technology (Harvard Business School Press)が提案したオープン・イノベーションは、学会のみならす実務にも多大な影響を与えた。しかし、オープン・イノベーションの定義が広く多義な一方で、Chesbrough自身がオープン・イノベーション の具体例(オープンイノベーション・プラクティス(OIP))を明確に示さなかったために、実務家は多様な解釈をした。したがって、オープン・イノベーションの実務に対するインパクトを正確に測定するためには、OIPをいくつかのタイプに分類する必要がある。Kuwashima (2019)はその分類法を2つ提案する。
Chesbrough (2003) Open innovation: The new imperative for creating and profiting from technology (Harvard Business School Press)は、R&Dを単独企業によって行うクローズド・イノベーション(CI)に対して、必要に応じて社外の技術知識を活用する、または自社技術を他社に活用してもらうオープン・イノベーション(OI)の有効性を指摘した。しかし、OIには、
日本では、1990年代半ばから2000年代半ばにかけて、産学連携を促進するために大規模な制度改革が行われた。産学連携というキーワードがマスコミで多数取り上げられ、社会的なブームとなった。しかし、それは一時的なものであり、2003年をピークに下火になった。再び、産学連携が注目されるようになったのは、2010年以降である。この時期、日本ではChesbrough (2003) Open innovation: The new imperative for creating and profiting from technology (Harvard Business School Press) が提案した「オープン・イノベーション」が流行し、その取り組みの1つとして、新しいタイプの産学連携が登場した。従来、日本の産学連携は、「小規模、短期、個別」の契約が多かった。それに対して、新しいタイプは、「大規模、長期、包括的」な契約に特徴がある(Kuwashima, 2018)。
2010年代半ば、日本では10年100億円もの大規模な産学連携が登場した。Kuwashima (2020)は、その先駆的な事例である中外製薬と大阪大学の創薬研究プロジェクトを取り上げ、それが実現された背景を探る。一般に、産学連携に参加する企業が最も重視するのは、投資に見合う成果(大学の貢献)を得られるかどうかである。本事例において、中外製薬が100億円の投資を決断する鍵となったのは、大阪大学が文部科学省の世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI)に採択され、十分な貢献を期待できる研究能力を蓄積したことであった。その意味で本コラボレーションは、国がイノベーション拠点の構築を支援し、それが軌道にのった時点で、支援者を国から企業へとうまく切り替えることで実現されたと解釈できる。こうしたいわば「政府支援による大型産学連携」は、今後の産学連携の1つのロールモデルとなる可能性がある。