Edmondson (2019)によれば、心理的安全性(psychological safety)とは、メンバーが不安を覚えることなくアイデアを提供し、情報を共有し、ミスを報告する風土のことであり(p.xvi 邦訳p.15)、「みんなが気兼ねなく意見を述べることができて、自分らしくいられる風土」(a climate in which people are comfortable expressing and being themselves)と定義される(p.xvi 邦訳pp.14-15)。エドモンドソンは、1990年代半ばに、医療ミスの調査に参加した際に、有能なチームほどミスを多く報告していたことを発見した。これはミスの数が多いことを意味しているのではなく、有能なチームには率直に話す風土があると考え、それを心理的安全性と名付けた(pp.10-11 邦訳pp.33-35)。実際、多くの管理者は、不安がやる気を引き出す力(the power of fear to motivate)を信じがちである(p.14 邦訳p.38)。しかし、部下は不安にかられると、率直に発言せず、安全地帯にとどまって傍観するようになる(p.6 邦訳p.28)。ただし、心理的安全性があればパフォーマンスが高くなるわけではない。心理的安全性は、できることをせずに済ますブレーキ(the brakes that keep people from achieving whta's possible)を取り除くのである(p.21 邦訳p.48)。別の言い方をすれば、心理的安全性はモデレータ変数であり、他の関係を強めたり弱めたりする(p.43 邦訳p.73)。
Edmondson (2019)はその第3章で、フォルクスワーゲンの排出ガス規制不正問題(2015年発覚)を取り上げている。Edmondsonは知らないだろうが、フォルクスワーゲンについては、こんな逸話がある。ヘンリー・フォードの自伝(Ford, 1922)によれば、T型フォード全盛期のフォード社では、アイデアを思いついた作業者は、どんなアイデアでも伝え、実行に移せるような非公式の提案制度(informal suggestion system)をもっていて、その改善の実例がいくつも挙げられている。1937年、ポルシェ親子は、ドイツの国民車フォルクスワーゲンの量産を始めるにあたって、米国を視察旅行し、米国の自動車産業で働いている有能なドイツ系移民と会って引き抜きをしていた。そのうちの一人は、誘いをきっぱり断り、「私がこの申し出(offer)に気乗りしないのは、物の考え方(mentality)の違いにあるんですよ。たとえば、ヨーロッパでは、もし私が改善のために8つの提案をし、そのうち2つが却下されたならば、私はクビですよ。アメリカでは、これと同じ状況でも、誉められたうえにボーナスまでもらうのです!」と答え、大いに考えさせられたと息子のフェリー・ポルシェ(Ferry Porsche; 1909-1998)は自伝(Porsche, 1989)に記している(高橋, 2015, ch.2)。フォルクスワーゲン(あるいはヨーロッパの会社)の抱える心理的安全性の問題は、戦前から指摘されていたことになる。