英国のウッドワード(Joan Woodward; 1916-1971)は、英国イングランド南東部、テムズ川河口部の北岸一帯のエセックス(Essex)州で、テムズ川の北岸に沿ってロンドンとの境界からコリトン(Coryton)の石油埠頭、およびその後背地で州都シェルムスフォード(Chelmsford)まで広がる「サウス・エセックス」(South Essex)地域の全製造関係企業203社のうち従業員数が101人以上の110社中100社を対象にして、1954年9月〜1955年9月まで調査を行った。この「サウス・エセックス研究」としても知られる調査の結果、表1のように分類される生産システムによって、たとえば図1に示されるように、組織の構造やシステムが異なっていたと指摘した(Woodward, 1965)。
表1. 生産システム
企業数 | 生産システム | ||
---|---|---|---|
数える製品 | 単品・小バッチ生産 | 5 | 1 顧客の求めに応じた単品生産 |
10 | 2 プロトタイプの生産 | ||
2 | 3 大規模設備の組立 | ||
7 | 4 顧客の注文に応じた小バッチ生産 | ||
大バッチ・大量生産 | 14 | 5 大バッチ生産 | |
11 | 6 組立ラインでの大バッチ生産 | ||
6 | 7 大量生産 | ||
量る製品 | プロセス生産 | 13 | 8 多目的プラントによる化学製品の断続的生産 |
12 | 9 液体、気体、結晶体の連続的フロー生産 | ||
混合 | 3 | 10 標準部品大バッチ生産後に多様に組み立てる | |
9 | 11 結晶体プロセス生産後に標準生産法で販売準備 |
図1. 生産システムによって異なる組織構造の例
(出所) Woodward (1965) p.52, Figure 13; p.62, Figure 20。
それまでの経営学、たとえば科学的管理法では、最良の組織化の方法を追求するという姿勢がみられたわけだが、このように1960年代に入ると、英国のバーンズ=ストーカーやウッドワードのように、組織化の方法に唯一最善のものは存在せず、技術や不確実性といった環境的条件に依存していると主張する研究が続々と出てきたのである。そして、米国のローレンス=ローシュ(Lawrence & Lorsch, 1967)は、組織と環境との相互作用を扱った調査研究をレビューし、自分達の研究も含め、これらの調査研究が最適な組織形態が市場・技術環境によって条件づけられて(contingent upon)決まるという共通認識をもっていたことから、これらを総称してコンティンジェンシー理論(contingency theory)と呼んだ。条件適合理論、環境適応理論と訳されたこともあるが、現在ではコンティンジェンシー理論とするのが一般的である。
そんな中で、ローレンス=ローシュと同年の1967年に出版されていたトンプソン(James D. Thompson; 1920-1973)の著作(Thompson, 1967)は、コンティンジェンシー理論という用語こそ使用していなかったものの、近代組織論の延長線上に位置する技術を軸とするコンティンジェンシー「理論」を提示していた。その後、トンプソンの強い影響を受けて、ガルブレイス(Jay R. Galbraith, 1939-2014)は情報処理モデルを唱え(Galbraith, 1973)、コンティンジェンシー理論を組織設計の枠組みとして整理し直したが、議論は明解な半面荒っぽく、精緻さには欠けていた。数学的モデルを使った理論化としては、数理的組織デザイン論(Takahashi, 1987; 1988)では、組織形態は組織構造と管理システムとの組で表現され、課業の逐次決定モデルの一部を構成することになる。Takahashi (1992)は、こうした数理的組織デザイン論の帰結を活性化のフレームワークとの関係に落とし込んでいる。
Thompson (1967)は、コンティンジェンシー理論のまさに「理論」の一つと考えられている。Takahashi (2016)は、そのPart oneをChandler (1962) Strategy and structureの理論編として再構成を試みる。技術を評価する二つの基準―手段的基準・経済的基準―のうち、まずは手段的基準で考えると、組織が成長する場合、技術から成長の指向性、すなわち成長戦略が現れる。次に、手段的には合理的な組織に対して、経済的基準を考えると、調整コストを最小にするために、横の部門化・縦の階層、さらに事業部制といった組織構造が必要になる。つまり、成長戦略と事業部制を議論した際、Chandlerは “structure follows strategy”と唱えたが、Thompsonは論理的に考えれば、実は“strategy and structure follow technology”のはずだと唱えていたのである。
Brusoni, Prencipe and Pavitt (2001)は、航空機用エンジンの制御装置が1980年代初頭にデジタル化したとみなし、それを組織統合度低下の原因としていた。確かに、その時期に導入され始めたFADECによって、制御対象は大幅に増加した。しかし、彼らが油圧機械式に分類した時期にも、アナログ電子式やスーパーバイザリ方式といったデジタル技術が徐々に導入されていた。さらに航空機用ターボファンエンジンの本体と制御装置の技術変化をみると、まず1960年代から70年代にかけて本体側の技術の向上(バイパス比、全体圧力比、タービン入口温度の上昇)がみられた。1980年代に入ると、本体側の技術はあまり変化しなかったが、FADEC導入による制御変数の増加という制御技術側の進歩があった。その後、1990年代には、再び本体側の技術が大きく進歩していた。このように、エンジン本体と制御装置の大幅な技術変化はつねに交互に起こっていた。この変遷をふまえると、本体と制御装置の技術変化率の均衡化や、相互依存性が予期しやすくなったことが、組織の統合度の低下の原因であるとする彼らの主張はあまり適切ではないと考えられる(Mukai, 2014)。